不可説日記

日常の何気ない出来事を極度に歪曲してつづります

不可説転#1 「自然のマッピング」

自然のマッピング

スマホは危険だ。とよく言われる。もちろんスマホが放射性のプルトニウムを発していることは御存じの通りだが、その他に、視界が狭くなるという問題がある。歩いているときに危険で自転車とぶつかるとか、自動車とぶつかるとか、はねられて鳥取県までふっとばされるとか、鳥取砂丘ラクダにのってアラビアまで連れていかれるとか、そういわれている「歩きスマホ」以外にも、「自然の風景に目を向けなくなる」という、いかにもスマホが嫌いな60代の評論家が新聞のコラムにつらつらと書きそうな問題点があるのだが、私は実際にそれを経験したのである。

西暦2021年、私はバスを待っていた。バスに乗るためだ。いつもはスマホをとりつかれたように凝視しながら待っているのだが、この日はロングホームで加持祈祷をした後だったので、とりつかれず、ぼーっと風景をながめていた。しとしとと雨が降っていた。ふと地面を見ると、私は気づいたのである。水たまりのうつくしさに。水たまりに雨粒が落ちるたびに、その水面に幾何学的で不可解な模様がつぎつぎと投影されていく。まるでプロジェクションマッピングのようだ。あれは機械でプログラミングをして模様を投影しているのだけれど、そんなことをしなくても、足元の水たまりをふと見れば、こんなにも美しい自然マッピングが展開されているではないか。光の環が広がっては消え、また別の光が生まれ、消えていく。水たまりの中で、光は輪廻する。隣でスマホを見ている人は、水たまりにも、木にも電柱にも、空にも、雲にも、はす向かいの民家にも気づかない。たとえ後ろの生垣からサングラスかけたインド人の怪しい宝石商のおっさんが突如現れても気づくことはないのだ。おっさんは私に話しかけた。「ジャパン、イイ国ネ。ニホンジン、ヤスクスル。ビール、20ルピー。おでん100ルピー」「買いだ、買いだ!全部くれ。日本酒とお新香はあるかい?」「アルヨアルヨ、各々79999ルピー」「あと、鉛筆削りもくれ」「ふざけるな!パラダイムナマステキャノン!」おっさんは自分のターバンのまわりにルビーとアメジストでできた魔法陣を展開し、小惑星を発射した。そんなことをしているうちに、17:00のバスを逃してしまった。「ニホンジン、このアメジスト買うカ?2.6*10^7ルピー」おっさんを無視して、私はつぎに上を見た。水たまりだけでなく、木にも、電柱にも、空にも、雲にも、小惑星が激突して半壊した民家にさえも、各々の美しさが宿っていると思うのだが、スマホのカメラを通してしまうと、たちまちその美しさは霧消してしまうのだ…そう考えているうちに、17:05のバスを逃してしまったので、おっさんはまもなく垂直方向に発射された。17:05発のバスは、公共交通機関にみせかけたロケットの発射装置だったのである。宝石商は月を目指した。彼がインドのスプートニクとなり、ノーベル経済学賞をとるのだ。発射された宝石商と、雲に覆われて見えない月の光をながめながら、この世は「光」と「ナマステ」でできているのだ、と考える。そうしているうちに17:10のバスを逃してしまったので、私はノーベル経済学賞を受賞した。月に到着した宝石商から電話がかかってきた。「ニホンジン、ココ、息デキナイ。窒息死スル」「そんなことより、鉛筆削りをくれ」私は鉛筆削りとLINEを交換した。