不可説日記

日常の何気ない出来事を極度に歪曲してつづります

不可説 バックナンバー集

何の記事を何月に書いたとかは忘れたので、順番が違っていたり、載せたのにここに載っていないものがあったりするかもしれません。

納豆巻き

ゴリラといえばもちろん納豆巻きだが、先日僕の家の玄関の前に納豆巻きが落ちていてたまげた。とっさに警察に通報した。「もしもし、人が死んでいます!」「納豆巻きだろ、わかってんだぞべらぼうめ」「能力者なんですか?」「ああ、そうだ」「すごい!どこで事件が起こっているかとかもわかるんですか?」「いや、納豆巻きが落ちてる位置だけだ」べらぼうめ!と思って電話を切る。すると、落ちてた納豆巻きが話しかけてきた。「ぼくはみんなにおいしく食べてもらうために生まれてきたのに、捨てるなんてひどい!」意気投合した僕と納豆巻きはラインを交換した。

雨雲

雨が降っている。これじゃ傘ささないと帰れない。だいたい雨雲というものは礼儀がなっていないのだ。そもそもものを投げるというのは下にいる人に当たるかもしれないからよくない。上空1000mから水滴を投げるなんて、当たったら痛いじゃないか!私も3階の窓からシュウマイを投げたことがあるけど、シュウマイは一過性のものであるのに対し、雨は水滴が継続的にずーっと降り続けるので、水資源の無駄であるし、攻撃力も高い。上空から降ってきた雨にぶつかって男性(69、自称無職)が死亡しました、死因はわかめの食べ過ぎだということです。というニュースが流れたらどうする。もしそんなニュース流れたら世の中きっと面白くなるだろうなあ…ところで、さっきからコラム書こうとしてるのに全然意味わからん文しか書けない。おのれシュウマイ。おのれ雨雲!

ふざけてはいけない生物

ヘビや爬虫類が怖くてムリ、という人はよくいるが、わたしにはどうも共感できない。というのも、もっと怖いやつらがいるから。たとえば毛虫とかムカデとか、あれは柔らかみをもった棒であり、明らかに生き物としての体裁を保っていない。道端にカラフルでやわらかくて毛の生えている棒が落ちているというだけで気持ち悪いが、それが動くというのだからこれはふざけているというか、ふざけてはいけない。なんで生き物なのに目と口がないのか。脊椎動物にはほとんど目と口があるので、人間と近いから違和感もなく接することができるが、目と口がないものが動くというのはそれは生き物じゃなくて化け物に見える。…しかし、私はそういう化け物が嫌いなわけではない。というのも、そういう化け物は身近にいるから気持ち悪いのであって、遠くはなれたところ、たとえば海とか、あるいは化石の世界に存在するのだったら迷惑ではなく、むしろ面白い。前も変な生き物について書いた気がするけど、地学でちょうどそこらへんの単元について習っているので書きます。最近の推しメンはフデイシです。これは形だけでなく、名前も生き物っぽくないのであるが、なぜこんなことになっているかというと、なんと実際に「石の一種」として見られていたからこの名がついたのである。あのリンネも「無生物である可能性が高い」としている(と、カタカナの名前を出してせりふを引用すれば日本人は納得する)。つまり、ハナから生き物をやる気がないのであり、もはや石といっても過言ではないけどそれが海の中でゆらゆら泳いでいたというのだから感動。復元図を見てさらに感動した。お前、どうみてもバドミントンのシャトルだろ!

正しい日本語

私は"正しい日本語"なる言葉が大嫌いであり(あくまでもその言葉が大嫌いなのであってそれを主張する人は大嫌いじゃないけど)、とにかくあらゆる言語に対して「正しい」「間違い」などと言っておるのはどうも納得がいかないのです。枕草子の「ふと心劣りするものは」の段や、徒然草の「何事も古き世のみぞ慕わしき」の段に当時の「日本語の乱れ」を批判する記述がある(ググった)ので今に始まったことではないのですが、しかし、現代ではこのような愚痴が受け継がれているばかりか、国語教育の発達や「口語文法」なるものの台頭、あるいは明治時代にはじまる「方言侵略☆ドキドキ共通語大作戦」などによりこの不毛な議論がより勢力を増しているように思われて、店で「間違った日本語」「気になる日本語」「気を付けたい日本語の誤用」などといった題名が書かれた背表紙を見るたびに背筋が凍り、身の毛がよだち、みのもんたが走る思いであります。ら抜き言葉がなんだ、二重敬語がなんだという主張に対してはそんなら一生古文で会話すべし、とヤジを飛ばしたくなります。言語というのは進化するもので、時代に合わせて変化していくものだ、ということは中学校で古文を履修済みの人なら全員わかるはずであり、そもそも今の日本語とは古代日本語が変化に変化を、乱れに乱れを重ねてできたものなのですが、なんで現代日本語の変化に対しては文句を言うのでしょうか。とくに二重敬語というのはより強い敬意を示すための表現であるのに、それに対して「無礼だ、敬意がない」などと主張するのは本末転倒であり、滅茶苦茶であり、さっぱりピーマン茎わかめであります。そういう主張をする人たちは言語という言葉を辞書で引いたことがないのだと思います。言語はただ「意思伝達の手段」であり、相手に自分の意図が伝わった時点でそれは言語です。日常会話における日本語は「古代日本語の文法や語彙を研究して現代日本語との差異を見つけ出し発表する場」ではないでしょう。※一部加筆・修正しています。

曇り空ニコニコハッピー論


窓の外を見たらまた曇り空なので、再度曇り空の話。まず曇り空は曇っている空だから曇り空というのだ。これは勘のいい読者の方なら既に気づいている人もいるのではないだろうか。その通り、曇り空は曇っている空なのであり、これは学会でも定説となっている。しかし「くもり」と「そら」をあわせて「くもりぞら」になるのはどうしてか。「そ」と「ぞ」ではえらい違いであり、「そ」と称して「ぞ」を販売したらお客様サポートセンターとかJAROに通報されかねない。おっと、早速お客様からの電話だ。
プルルルル…職員:「もしもし、ニコニコハッピー商事ですが」客:「お宅の「そ」、濁点ついてるんですけどー、私濁点アレルギーなんですけどー、体中に湿疹とか半濁点ができてるんですけどー、お宅ら責任とれるんですかあー。」職員:「いや、「くもり」と「そら」を合わせたら「くもりぞら」になるので同じようなもんかなと思って」客:「「そうめん」を食べるときに「ぞうめん」だったら困るじゃないですかー、ゾウを食べるってわたしゃマサイ族ですかってのー」職員:「マサイ族はゾウじゃなくて牛の血を飲むらしいですよ」客:「へえー、そうなんですかあー、ありがとうございますうー」ガチャ。
これで今日も一人のお客様のクレームを解決することができたが、まだまだコールセンターの仕事は続く。プルルルル、ガチャ。職員:「もしもし、お客様サポートセンターです」客:「ボールペンを買ったらうな重が届いたんですが、おいしかったです。」職員:「そうですか」客:「ボールペンのかば焼きって作り方わかりますか?」職員:「塩を500g、キャットフード60g、隠し味にハードディスクとコンタクトレンズ少々です」客:「は?ふざけんな、責任者呼べ責任者を!」職員:「ただいま替わりますね」ガチャ。ああ、お客さんを怒らせてしまった!でもこの電話を切ったら不思議な力により岐阜県の北部が壊滅するので今日も新人コールセンター職員の受難は続く!(先生の次回作にご期待ください)

 

世界史序説2021


私は放送部も兼部していますが、先日放送室の掃除をしていたら、放送器具と壁の間の微妙な隙間にヘビのおもちゃが落ちていました。部室は一時騒然となりましたが、今このヘビはまさるという名前がついてみんなにかわいがられて壁に逆さづりになっています。そのほかにも放送室にはいろいろと変なものがあります。たとえば、ヘビの左上の壁にかかっている水風船。これは1678年に徳川幕府の第56代将軍であった織田信長より藤島高校放送部(当時は「明新会放送処」と呼ばれていました)に賜り、代々保存されてきたという伝承がありません。そして、なんか変な置物があります。まあ変な置物はどんな家にもつきものですが、生き物をかたどっているというわけでは特になく、誰が何の目的で持ってきたのか確証なきものですが、放送部員は数寄者ぞろいなのでみんな名前をつけずにかわいがっており、これは785年にアメリカの第8959代監督であったアブド=アッラフマーン44389世から受け取ったもので、目を合わせると一生きなこもちとかにみそといかり豆しか食べられなくなる呪いにかかるといわれています。このアブド=アッラフマーン59382世がかの有名な藤島高校放送部の初代部長であるといわれていません。このアブド=アッラフマーン937856世は単細胞生物のように分裂によって増えるという特徴を持ちます。だからアブド=アッラフマーンは何世もいて、識別もできないのです。世界史をやっているとフィリップ何世とかヘンリ何世とかがよくでてきて覚えにくいけど、彼らも分裂で増えているのだと思います。

ごきぶり

「ごきぶり」というのは「日本人の嫌いなひらがな4文字で漢字2文字で英語にすると9文字の昆虫ランキング」で毎年上位にランクインしている実力派昆虫だが、先日その「ごきぶり」にのぼられました。のぼられたというのは、脚を。「ごきぶり」が私の脚をのぼってきたのであります。うへぁ~!と悲痛な叫び声をあげた。その叫び声は「悲痛な叫び声ランキング」で238位にランクインしているが、それはともかく、ごきぶりが脚をのぼってきたのでありまして、脚といえば私のひざには「痛々しい傷跡ランキング」で上位を独占中の痛々しい傷跡があるのだが、これは9/3における「バーゲンセール」という危険行為によりできたもので、そもそもバーゲンセールで売っているのがタイヤというのはいかがなものか。スーパーのセールに行ったお母さんがにこにことタイヤをかついで帰ってきて「ウフフフフ、今夜はあんたの大好きなタイヤのごまあえとサンマのショートケーキのパイナップル味噌炒めよ」とか言ってきたら怖いというか、まずサンマのショートケーキって何だ。これも全部ごきぶりのせいだ!

回転寿司

回転寿司はなぜ回っているのか、という人類最大の疑問は、賢明な読者の皆様ならすでに中学理科で履修済みであろう。優秀な生徒が集まる高校なのでわざわざ説明するのもばからしいが、真ん中に立っている寿司屋の大将の重力によって公転している。そして寿司は大将のエネルギーで生きており、大将に生殺与奪を掌握されている。しかし、実は寿司自体も自転しているということをご存じの方は少ないかもしれない。というのも、ほとんどの回転寿司の時点は非常に低速であり、一周するには天女が三千年に一回寿司屋の大将の頭に下りてきて羽衣で一回なでて髪の毛が完全になくなるまでの時間と同じほどかかる。別の説では、25メートルプールを埋め尽くす大量の中トロにぎりの中から1貫のアカマンボウにぎりを探し出すのにかかる時間ともいう。しかし、まれに高級な回転寿司では人間の肉眼で観察できる速度で自転するという。寿司屋はある程度高級になると回らなくなるためその存在は極めて珍しく、シベリアのど真ん中だとか、エアーズロックの中だとかいう秘境にひそんでいるというが、「今昔物語集」の「回転寿司物語」の節では、主人公の中納言納豆巻介が、寺に参詣する途中に山道で道に迷い、回転寿司屋に迷い込む様子が描写されている。そこで巻介は衝撃の光景を目にする。本文には「寿司回れり」とある。しかも、その寿司が回っているエネルギーは大将の重力ではなく「寿司の心にて回るるなり」とある。その寿司屋では寿司の米一粒一粒、ネタの脂の一滴一滴が強い光を発しており、寿司を構成する全ての原子が強烈な力を発することで回っていた。巻介はその寿司を食べて「いとうまし」と喜んだ。

メンデレーエフとバスでさんぽにいきたいはなし

私は布団に入って、電気を消して、これから寝ようとするときによくいろいろなアイデアを思いつく。そして、朝になると忘れる気がするので、豆電球のままで(おばけが怖いから真っ暗では寝れない)、その内容を慌てて手帳にメモる。不可説に何を書くか、についても同じだ。もう15本くらい未掲載のやつが溜まっているのに、私の脳細胞はこりずに、自分で考えても訳の分からないアイデアを思いつく。そして私は今手帳に書かれた「メンデレーエフとバスでさんぽにいきたいはなし」という文字列を見て困りはてているのである。どうした私の脳。腫瘍の2つや3つくらい、レントゲンで見れば見つかりそうだ。厄介なことに「メンデレーエフとバスでさんぽにいきたいはなし」としか書かれていないので、どういう経緯で思いついたのかさっぱり分からない。寝ているときの脳というのは、布団に入った時点ですでに夢の中なのだった。それでメンデレーエフとバスでさんぽにいきたいのはなぜか。確かに循環バスは周期的にまわっているが、メンデレーエフは元素周期表のなかにすまいるバスを見出したのであろうか。するとすまいるバスは電子であり、文京地区は陽子、町屋は中性子といったところで、つまり福井市は万物の根源であり、宇宙なのだ。しかし、福井市にはほかにも循環バスがある。京福バスの路線図を見ると、済生会病院もベルも福井大学もみな別の宇宙にある。ここで、福井市によりパラレルワールドの存在が証明される。つまるところ、すまいるバスとは人類の叡智の結晶であり、多次元宇宙の存在を立証する科学の奇跡といったところで、それを100円で利用できるのはひとえに私がバスでさんぽにいくことによって提供されているサービスである。つまるところ、私はえらい。どうした私の脳。

地下道

私は地下道が好きである。というのも、地下道は日常にありながら、非日常であり、どこか遠い異界に通じるトンネルのような雰囲気があるのだ。壁の枠には広告が出ていて、この広告や出口の案内の看板のデザインは現代っぽいのだが、通路は床、壁、天井、空気も含めて灰色とくすんだアイボリーで統一されており、古びた廃墟のようであるし、誰もいないのだが、確かにここは市街地のど真ん中であり、廃墟ではなく現在でもつかわれている設備なのである。信じがたい話だ。それにエレベーターも普通とは違う。普通のエレベーターは無表情だが、地下道のエレベーターは薄ら笑いでこっちを見ている。これに乗ったら、平行世界とか、暗黒の魔王の間とか、秘密武装戦隊レッツゴージャパンの秘密基地とかに連れていかれるんじゃないか、とか思いながら、ふつうに地上に出るだけのエレベーターに乗る。すぐに秘密基地に着いた。リーダーのレッツゴーレッドは歓迎してくれた。聞けば彼は昔から駅前で大判焼き屋を営んでいるのだが、ここのところサイカイハツ星からやってきた悪の秘密結社ギョーセインの怪人タチノキーの悪行が絶えず、戦隊を結成したという。ちょうど、発射装置から巨大ロボットタチノキキョヒンガーZが射出されるところだった。そうこうしているうちに時間がたってしまったので再びエレベーターに乗る。下に行くボタンを押すと、ふつうに地上に出た。やっぱり異界には通じていなかった。それでもなお、地下道にはスキを見せたら即座に変なところに連れていかれそうな異様さがあるのだ。ポケットには、レッツゴーイエローがお土産にくれたカレールーがひとかけら入っていた。

縄文人の犯罪

弥生土器古墳時代の埴輪に比べて、縄文土器縄文時代土偶は全体的に派手というか独特であり、縄文文化とそれ以降の文化との違いがはっきりと分かる。とくに土偶は女性をかたどっていると言っている割には全然女性に見えない謎の形をしているので、これは考古学的見地から考えると縄文人は秘密裏に何か壮大な悪だくみをしていたに違いない。縄文人の悪だくみって何だ。ナウマンゾウの横領とか、竪穴住居の不正所持とかだろうか。そういえば最近はナウマンゾウの横領で逮捕される芸能人も減ってきた…というのも、ナウマンゾウはすでに絶滅しているからである。話がずれたが、縄文人土偶をどのように使っていたのかというと、本来ナウマンゾウの横領という大事件は記録に残るべき犯罪なのであるが、変な形の土偶を作ることによって注目をそっちに引きつけ、警察の捜査を攪乱していたのである。

最終回-0776D廃棄物急行の旅を終えて


「コラム書きたいです!」と私は勢いよく文化部部室の扉を蹴破った。放送室が爆発した。その勢いで飛んできたUSBの中に、データが保存されている。私は、納豆巻きに関する論を展開したが、なんと直前になってコラムのスペースが狭まってしまい、大幅に内容の削減を迫られた。そこにコペルニクス的転回が生まれ、放送室が二度目の爆発を遂げる。自分でも何かいてるか分からない文章が誕生したのだ。私はこの文章を書いた人の正気を疑った。しかしそのまま新聞が発射された。不可説という名は、言葉で説明不可能なことを言葉で書いていることに由来する。私は「不」だの「無」だの「非」だのという打消しの字が好きである。新しきは全て古きの打消しから生まれるからだ。小学校の卒業アルバムに「好きな単位 不可説転」と書いてあるくらいだ。なんてことは今考えたことで、実際には適当につけた。書く内容も適当だ。日常の何気ない出来事を、気の向くままに書いているだけだ。何か具体的なテーマを定めてしまうと、筋の通った文章しか書けない。何も考えずに狂ったように指を動かし、うつろな目でキーボードをたたき続けるのがコツだ。そのようにして二年分の危険物が誕生した。突発的に不可説が書きたくなる時というのは誰にでもあり、私もまだ20くらい公開していない危険物を所有しているが、気づいたらもう終わり。困惑の声と同時に好評の声を頂き、鼻から焼きそばが出る思いです。私は卒業したら、不可説海を渡って不許可界に行く予定だ。お弁当を作っていき、歌を歌って筑波山をのぼり、快晴の山頂から利根川を見晴らし、シーラカンスをとりにいく。煮つけがおいしそうかなあ。またこんど!